3匹のすずめ(ブログ)

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5日目。例の如く朝食をすっ飛ばすと、早々にバスへ乗り込みました。

船の旅とはここでお別れ。これから空港へ向かい、首都のカイロを目指します。

 

バスの運転手が到着するまでの間後部座席でぐったりしていると、なにやら外でずいぶんはしゃいだ声が。蕾んだ朝顔のようなしおしおの身体を起こすと、少し離れた場所の広場に子供達がわらわら。こちらのバスに気づくと、笑顔で手を振ってくれました。

 

時計を確認すれば、早朝の6時前。

登校前に遊んでるの?!と思いましたが、なんと今、エジプトは夏休みなんですって。なるほど、陽射しが柔らかい午前のうちに、めいいっぱい遊んでおこうというわけか( ^ω^ )しかしエジプトの夏っていつまでなんだ…(笑)

 

楽し気な声に、いいなぁ早起きだなぁ元気だなぁ…❁と、ぽーっと眺めていると、1人の男の子と眼が合いました。

 

ふと遊び心が湧く私。

 

手をぶんぶんと振って、

 

いざ(`・ω・´)☆じゃーんけーんぽん✋

 

始めはきょとん顔だった男の子。観光客のねーちゃんが何をしたがっているのか理解した瞬間、一気に破顔してくれました(≧▽≦)

 

そして始まる白熱した戦い!

いつしかあちら側のギャラリーは増え、途中からどの子と勝負しているのか判らなくなる始末。

「負けたら身体を仰け反らせる」「勝ったら胸をドンっと叩く」という暗黙のルールが定着した頃、ゴルゥゥウウンと車のエンジンがかかりました。

 

あぁ、これでお別れかぁ。アスワン、良い土地だったなぁ。最後に素敵な思い出をくれた地元のお子様たちよ、ありがとう👒楽しい夏休みを満喫してね。

 

 

さて。そんなわけで1時間20分のフライトを終え、ここは首都カイロ。

 

 

 

正直、びっくりするくらい栄えていました。開発の影響でここではナイル川もただの川という印象。

生命と文明の源である威厳のようなものは全く感じられませんでした。

一抹の寂しさや焦燥感を覚えながらも、東京に住んでいる自分が言えた義理じゃないなぁとも思いました。

 

 

そんな感傷に浸りつつ、モハメッドアリモスクに到着。

巨大なドームとミナレットが荘厳な雰囲気を漂わせており、一歩内部に入ればシャンデリアの灯りと幾何学模様に彩られた美しい世界観に取り込まれる……らしいです。

車窓観光だったので分かりませんが(爆)

 

 

でも確かに、このドームは美しい。技術高~い🏰

 

 

カイロ市内を走っていると、道路の下に突然広がったナイル川!ではなく人の波🌊

カイロでは休日になると鳥や動物を売る市場が出て、男性客で大賑わいになるんだそう。

なんだろ?鳴き声競争とかやるのかな?

 

 

 

 

続いて、サッカラ・ダハシュール観光へ。

エジプトに来て、漸くピラミッドを見ることができましたっ(T□T)

 

 

思えば体調不良でうなされる中、「ピラミッド見ないと帰れないでしょ…!!」と、うわ言を繰り返した日々…。

でも、もしかしてもしかするとほんとーーーーに見られずに終わるかもなぁなんて覚悟もどこかでしていました。

 

 

それが今、眼下に広がる巨大な三角形。嗚呼感無量。とりあえず添乗員さんに改めてお礼を申し上げました_(_^_)_

 

 

赤のピラミッド↑は現在入れませんが、屈折ピラミッド↓はこの2019年、54年振りに内部公開が再開されたんだとか。そりゃ行くっきゃないでしょ!

 

 

事前に「急勾配でめちゃくちゃキツイから、入る人は自己責任で」と注意されていた通り、入り口からもう滑り台みたいな傾斜を中腰姿勢で下る↘下る↘

道幅も狭く、人とすれ違えるかどうかのギリギリ。背の高い人にはかなりのエクササイズになったのでは?クーラーないしね。

 

 

下りきると今後は階段で上へ。漸く辿り着いた玄室も、人間が10人立てばぎゅうぎゅうといった感じでした。

 

帰り路、「腰がぁ…っ」とか「もぅッ進めない…ッ」とか「骨は拾いますからッ」とか「ここで死んだらそのままお墓になるね」とか「豪華だけど誰も参ってくれないッ」とか、一緒に入ったツアーの方々が疲労困憊でイっちゃった台詞を呟く中、なぜか1人余裕綽々で生還する私。

 

それもそのはず、本来元気ならば恐らく1番体力勝負の仕事に従事しているはずの私です。

ヨレヨレで戻った他の皆から「なんで何日も飲まず食わずの貴女がそんな元気なんだ!!」とビビられました(笑)

 

ふふ、それはね…日々4階建ての建物で階段昇降を20往復してるからだよ(`★ω★´)

 

添乗員さんにも「それどんな仕事ww」とツッコまれました。この旅イチ福祉業が役立った瞬間だった(。-`ω-)

 

 

続いてエジプト最古のピラミッドとされている階段ピラミッド↓

 

 

造りながら何度も設計変更がされたことで、結果的に階段状になったらしい。が、それ労働者はたまったもんじゃないよね。

 

まるで空に昇る階段でした。一説では、本当に天国へ昇るための階段として造ったとのことですが。

 

さて現地ガイドさん。ここにきて何故かインスタ映えを気にし始めたらしく、「ここでは皆ジャンプして写真撮ろう!」と突然言い出しました。

 

えぇ。ちょっとお腹痛くなってきたのに…;; よっと。

 

 

と、適当に跳んだのがこの1枚。一発OKでした。ここでも「なんで何日も飲まず食わず以下略!」とビビられた(笑)

ふふ、だからね…💖

 

 

こちらは階段ピラミッドの葬祭殿です。大理石で造ってあるので、とぉっても涼しい&鏡のように姿が映る!凄い✨

 

 

 

 

 

念願のピラミッドが見られたことで、心持ちは大満腹❁

よって昼食のケバブ料理はスルーして(涙)

 

 

レストラン脇を散策してました。

 

すると―

トンボが!トンボかッ(★∀★)いるよねトンボ!太古の生物だものね!

 

 

羽の模様がとても興味深かったのだけれど、人間への警戒心が強いのか、なかなかアップで撮らせてもらえませんでした。

 

一斉に舞い上がったトンボを見上げると、その先に聳え立つヤシの木―に、どっさりのデーツ

 

 

今にも重さに耐えかねて振ってきそうな勢いに、「ぉお~✨」と声を上げてしまいました。某ガンダム作品に影響を受け、デーツ好きになったのよね(笑)

 

日本じゃ結構お高いのだけど、文字通りうなるほど生っている姿に、ちょっと感動しました。

 

 

 

お土産屋さんのカーペット店に着く頃には体力も限界を突破し……_(:3 」∠)_

 

なんだかとっても素敵そうだった宿泊ホテルの記憶は、自分の部屋しかありません。

しかもルームキーを持ちながら、1度も自力で扉の開閉をしなかった(;´Д`)否、できなかった。上げ膳下げ膳なんてレベルじゃないですね。

 

普通食なんて当然無理ですが、そろそろ水分を身体に入れないとマズい状態になり、添乗員さんが頑張ってお粥のレシピをコックさんに伝えてくれました。

なんと動画まで見せたそうですが(心の底から感謝)できてきたのは熱湯に浮いたお米。

※エジプト人にはお粥が1つの料理の完成系とは思えないらしく、「で、この後どうするの?」と混乱したそうです(ごめんね…;)

 

しかも米の両端が熱で裂け、2本の触角のような見た目に。

 

これはあれだ。紫陽花とセットで描かれるあの子。塩をまぶしても一応溶けないあの子。

 

 

頭の片隅でデーンデーンムーシムーシ♪のBGMがかかる中、なんとかスプーンでカタツムリお米を掬おうと……するも、脱水から手が震えて食べられず。

トライする気も失せてきて、ゆっくり時間をかけて食べればいいやぁ~と机に突っ伏しかけた時、現地ガイドさんが動きました。

 

「はい、あーーん」

 

―はい?

 

「大丈夫です。食べてー、全部食べてー、あーーん」

 

「ぃゃ、あのだいじょうぶです…たべる…たべますから…じぶんのペースで…」

 

 

「大丈夫ですーっ僕は今だけあなたのお母さんですーー!!あーーーーーーんっっ!」

 

 

 せめてお父さんじゃないんかいッ??!!;;;

 

 

肩を掴んで身体を引き起され、段階的に圧の増すあーん攻撃

 

何が起こってんの(@言@)?!と終いにはガチ泣きしながら「たべるからぁぁぁ…ひとりでたべるぅぅ…まってぇぇ…っ」とガイドさんから逃げるため椅子からずり落ちかけた私に、それまで動向を見守っていた添乗員さんが「やめてあげてーっ;;日本人は慣れてないのー;;やらないソレーー!」と助け船を出してくれました。

 

聞けば、エジプトでは介抱のためご飯を食べさせてあげる行為は、老若男女問わず一般的にすることなんだとか。

 

参った@@@貴重な水分が涙として出ていき、余計な体力を使いまくりました(@Ⅲ@。

 

人の温かい善意も手伝って、今夜も早々にバタンキュー@@@

 

 

明日は最終日だ!

 

by さぁチュン

地獄の一昼夜を越え、4日目の朝……。

なんとか観光には出られそうだと、朝食は抜いてイシス神殿へ。

 

 

ここはナポレオンがどうしても来たかった場所だとのことで、なんと壁には

 

「朕は来たぜぇ~♪ここがエジプトの中で1番美しい神殿だぜぇ~💖byナポレオン」

 

という落書きまで残しています。ガイドさんも怒ってましたが…うむ。けしからんですね。

 

 

↑こちらはミイラ手術台。なぜこんな巨大建築オンパレードのお国柄で、ここまでコンパクトなのか(^_^;

胸部~腹部を中心に仰け反らせるように乗っけて、内臓を取り出す姿を想像してしまいました。

 

 

ではここでいってみましょう♪聞きかじり【ミイラ3分クッキング】~♪

 

材料:ファラオ、権力者、動物など、永く残しておきたいナマモノ

器具:専用ベッド3台、区切りが4つある壺、鼻チューブ、メス、炭酸ソーダ、包帯、以下多数

作り方:

①脇を切り、心臓以外の臓器を取り出します。

ポイント★生まれ変われるよう、心臓は残しておきます。

②チューブを使い、脳髄を鼻から吸い出します。

③取り出した内臓を専用の壺に納め、炭酸ソーダに漬けます。

ポイント★これで紀元前2600年産の内臓も肉眼で捉えられるまで保存できます。

④包帯で巻いて完成。※工程毎に使用するベッドが決まっており、計3台必要です。

 

 

注意事項:あくまで聞きかじりなので、正確に知りたい方は独自にお調べ下さい。「つくってみたレポ」は募集しておりません。

 

 

余談ですが、台に掘られている十字マークは、この神殿を一時期キリスト教が使用していた証なんだそう。

どこにでも爪痕を残すなぁ…隣人を愛す第一歩は「みんな違ってみんな良い」じゃないのか…。

 

 

 

 

続いてアブシンベル神殿へ。

道中エジプトいち砂の粒子が細かいサラッサラの砂を小瓶に詰め、40度で常温保存が可能なカカオ75%のチョコを食べ(※久々の食事に関係なく、とても美味しかった)、エジプト最大のアスワンハイダムを眺め

 

 

 

 

※図面屋の父曰く、とても変わった構造をしていると。

 

 

ヌビア料理を観察して(涙)

 

 

 

到着~。

 

 

この大神殿はとても信じられない仕掛けがあることで有名です。子供の頃TVで見て「エジプト、パない」と思った場所。

 

建造主は、新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世。

神殿の奥には彼の青年期から壮年期までの4体の像が立っているのですが、なんと年に2回だけ、像の全てに陽の光が当たるように設計されています。

しかもその2回は、ラムセス2世の誕生日(2/22)と王に即位した日(10/22)。一体どんな計算をすると、そんな真似ができるのか…鳥肌が立ちます。

 

 

が、ここで当時のスーパー数学者達が想像だにしなかった大問題が起こります。

1960年代、アスワンハイダムの建設計画により、神殿は水没の危機に。(さっき通ってきたアレかぁああーッ;;)

 

国際的な救済活動の結果、ナセル湖(ダムでできた人造湖)の畔に移されましたが、当然座標はずれてしまい……。

それでも現代のスーパー数学者達が頑張り、何とか4体の像に光を当てようとしましたが、計算ミスをして3体までしか当てられなかったんだとか。

 

 

こういう話し、本当にわくわくするわぁ🌼

※因みにこれはガイドさんからの説明です。ネット上には他の説も溢れています。

 

 

こちらは小神殿の入り口。実際は6体立っていますが、強調させるためにこちらを載せてみます。

 

 

夫婦である2人が左足を前に出し、今まさに歩き出そうとしています。

これは、現代まで世界共通で続いている「行進は左足から」の最初の一歩だと言うのです。心臓に近い左足から進むことで、馬力が出るんだとか。

 

でもよく見ると、王妃の方が突き出した足がやや控えめ。夫婦間であっても男女の優劣があったことを示しています。

 

 

人類の誕生から、女がトップ張るのは難しいのね;卑弥呼すごーい(苦笑)

 

 

 

 

夜は香水の専門店……という名のオーガニックオイル専門店へ行きました。

そこで出逢ったのはジャパネ●ト高■さん。としか言いようのない店長さん(*´Д`)

 

 

畳みかけ、持ち上げたと思ったら落とし、丁寧な口調の中に突然毒を吐く。笑いすぎて熱が上がりました。

よく■田さんの仕事っぷりを勉強してるなあーーと、もはや芸として確立された姿にツアー客全員拍手👏

あとでこっそり聞いたら、やっぱジ●パネット知ってたし(笑)

 

 

凄い量の種類に加えて、ネーミングからは全く想像できない香りも。

蓮とか水仙とかは分かるけどさぁ、ツタンカーメンとネフェルタリってどんな香りよ(^ω^;

 

そこで、ちょっと知恵を絞りました。

 

 

「私、某世界の有名店某看板香水が好きなんですけど、あれに似た香りってあります?」

 

 

こっくり頷く店員さん。迷いなく 1本の瓶を差し出す店員さん。スムーズすぎて恐る恐る嗅ぐワタシ……

 

 

 

 

グッジョブ👍

 

 

 

 

腹痛と発熱を抑えるほどに笑った。

 

 

香りを作る職人さんが言うには、要は調合の問題なので大概の物は作れるんだと。

でもそのまんまの名前で売ったら流石に捕まるので(そりゃそーだ/笑)別の名前で出しているんだそう。

因みに、世界に名だたる有名ブランドは全部作ってるって言ってました(≧▽≦)

 

 

いや~❁こういうの楽しい!旅って感じ!!自分の機転にも拍手👏

 

 

そんなわけで「アラビアンナイト」というオイルを購入。

「蓮」もとても良い香りでしたよ~💖興味のある方はご参考までに( *´艸`)

 

 

 

 

観光日程を終え部屋に戻ると、無意識にセーブしていた体調不良がどっと押し寄せる(辛ッ)

 

 

添乗員さんにこれでもかとお世話になりながら、緊急搬送の相談をしているうちに気絶しかけたのでいっそ寝ることに(+o+)

 

 

TUNAWATARI!!

 

 

by さぁチュン

今更ながらエジプトのご飯事情をお伝えしていないことに気がつきました。

 

 

 

 

ジャンっ★ 船舶中はずっとバイキング形式でした。これは一例。

 

味付けは、あんなに色とりどりの香辛料を売っているわりに、特に“これぞエジプトの味”みたいなものはなく…。

ガイドさんに裏も取りましたが、観光客向けの味付けにはしているが、そんなに大きく変えているわけでもない、と。

「エジプト人って色んなもの食べるんだなぁ???」と思いました。

あ。でもお菓子系は甘い。とぉっても甘い。これは特徴と言えるかも。でも暑い国って、お菓子が甘いこと多いですよね(?へ?)

 

 

さて、3日目はホルス神殿に参ります。

エドフ港から馬車に乗り込むと、調子の良いお兄ちゃんが「いっえぇぇ~いっ!フェラーリィィィッ!!」と叫びながら馬を飛ばしまくり、前方の馬車仲間達をごぼう抜きしてくれました。まぁ私も散々煽りましたが(笑)

 

そんなわけであっという間に神殿の入口に到着し、他のメンバーを待っている間にそれはやってきた。

 

 

 

――異変。 (0_0)なんか、お腹がきゅぅっと。  んん?

 

 

 

一抹の不安に蓋をして、いざ観光へ。

ここはエジプトに残る神殿建築の中でもかなり保存状態が良いそうで、確かに彫刻もハッキリクッキリどばーーんと見えました。

 

 

 

終了。

 

え?少ないって?? そうなのです。実は先程のお腹きゅぅっと。気のせいではございませんでした(◎言◎;

 

聳え立つ外壁に向かう途中からもう脂汗。カラッと大晴天なのに冷や汗。 海外旅行をまぁまぁ経験している身で、初めて“水に中る”事態に。

 

 

うーーわーーやっちまったぁああ……。

 

 

ろくすっぽ記憶のないまま帰路の馬車へ。行きはフェラーリでしたが、帰りは安全な日本車走行。

 

だろうが何だろうが揺れる度に胃腸がぐるんぐるんでもう涙目でした@@@

 

息も絶え絶えに船へ帰り着いた後は、もはや記憶が曖昧。

昼食はもちろんすっ飛ばし、トイレとベッドの往復で「きゃぁぁ~~(T□T)!」でした。

 

唯一の楽しみは、ナイル川から見えるエジプト片田舎の景色。

 

 

 

川遊びに興じる子供達。ダムが出きてからはワニもいなくなったとか。ピラニアは健在だけど(充分怖い)

手を振ると大歓声で応えてくれましたが、隣で洗濯しているお母さんからは「手伝いなさいっ」と小突かれてました(。-∀-)いずこも同じ…

 

 

突然現れる湿地帯。白鷺みたいなのもいたなぁ。ナイル川、本当に表情豊か。

この旅で思い知ったのは、よくエジプト特集番組で「ナイル川によって築かれた文明」って型にはめたように言ってる台詞はガチだということ。

日本人の感覚で川を想像してはいけないね。広大な砂漠地帯だろうとも、雄大な1本のウォーターロードがあれば生命は育まれるのだと実感しました。

 

 

悠久の歴史に想いを馳せながら反対側に眼をやると、川を横断せんとする橋の建設(笑)

しかしこれ、木材ですよ!日本ではお眼にかかれなくなった景色だあ🌸

 

 

以上―現場からエジプトの今をお伝えしました🎤(-∀-)

 

 

などと気を紛らわそうとも、深夜には高熱も出て再びバタンキュー☠

 

ナイル川の中心で助けてと叫ぶさぁチュンの、明日はどっちだ?!

 

by さぁチュン

2日目―いきなりの大物、王家の谷へ向かいます。

 

と、道中に突如現れた2体の巨像。メムノンの巨像と呼ばれているアメンホテプ3世の像だそうです。元はアメンホテプ3世の葬祭殿の入口を守っていた像だったんだとか。

 

 

作った当初は一枚岩だったのに、この場所へ移動させる際にブロック状に切っちゃったんだと(*_*;扱いが雑!

 

それにしても空が美しすぎて、ついついカメラを構えてしまいたくなるエジプト。日本と同じ朝の月が、とろりとした色の青空にぽってり浮かんでおりました。 

 

 

 

 

そぉおしぃいてぇえーー。着いたぞ谷~!! こちらも抜けるような空の青さ!に、砂色のコントラスト。ただただもう美しい。

 

 

この場所がなぜ王家の谷なんて呼ばれるようになったのか―、それはこの谷の地形そのものがピラミッドに見えたため(※↑の三角の部分です)霊園&霊場として人気のパワースポットだったからだそうです。

なるほど、お墓が多かったから後付けで付けた名前じゃなかったのね。今も昔も、人は一等地を好むということですか。。。

 

さて、そんなわけでここ青山霊園には(違っ/笑)なんと64ものお墓が造られています。

しかも↓の模型で解るように、谷の地下はまるで蟻の巣状態。立派な建築技術を持っていたはずの人間が蟻の生態を模したような結果は、正直複雑でした。

 

 

金銀財宝が眠るお墓はそれはもう厳重なセキュリティが施されていましたが、それでもツタンカーメン王以外の墓は全て盗掘されてしまったとは、造る方も盗む方も我慢強いですね(´~`);

 

では内部に潜ってみましょう。

 

 

暴かれていてもこの豪華さ。装飾で噎せ返った玄室は、「一ヶ所でも無地の壁面があると怖いのっ?」と尋ねたくなるほどの異様な雰囲気でした。

でもガイドさんの説明を聴くと、あながち間違ってはいなかったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一面に描かれているのは「太陽の書」「月の書」「死者の書」から引用した呪(まじな)いの言葉。

人は死んだら基本的に地獄に堕ちる、というのがエジプトの考え方。故に、その使者である蛇が壁面の至る所に描かれ、元王を引きずり堕とそうと狙っています。それから身を守るためには、耳なし芳一さながらに呪いの言葉で空間を埋め尽くす必要があったのです。

 

 

 

この中で、元王は色々な神に手助けしてもらいながら審判の門まで辿り着き、そこで生前の善行をこれでもかと訴えて、天国行きの切符を勝ち取ろうとします。

見事合格すると天国行きの船に乗れ、輪廻転生が約束されるという仕組み。

 

 

 この死生観、なんだか日本の仏教思想に通じるものがあるなぁと思いました。

 

 

 

 

私達は「エジプトと言えばピラミッド」を連想します。

でもそれ言い換えたら「エジプトといえばお墓」ですよね。

和訳するだけでこのショッパさ(苦笑)

 

しかもあらゆる宗教を信じる世界中の人々がお参りに来るお墓です。

よく考えたら、意味不明すぎる@@@

 

なぜエジプトと言えばピラミッドなのか。

それは偏に“残っている”から。

どれくらい前から?“紀元前27世紀半ば”くらいから。

 

⊂⌒~⊃。Д。)⊃ わ~お。そりゃ「エジプトと言えばお墓」だわ。

 

 

なぜ残っているのかの答えは簡単で、壊れないからです。 ―何が起こっても壊れないよう、頑丈に作られているから。

輪廻転生を信じるエジプトの王様にとって、1番大事なのは自分の魂を守る永久のお家。次に大事なのは神殿。どうでもいいのが生きている間に仮住まいしている感覚のお城。

そのため、藁のお城木の神殿コンクリートのピラミッドと、建造物ごとに岩の材質を変えているんだそう。

だから今のエジプトで残っているのは、ピラミッドと修復が多い神殿のみ。お城は住まなくなった時点でどんどん材料をはぎ取り、他の建物に使い回ししちゃうから、1つも残ってないんだって。面白いですねぇ~( ^ω^🌸

 

なーんて説明を受けながらお墓巡りをしていると、あっさり現れた『ツタンカーメン王の墓』!

 

 

一度も暴かれなかった玄室の内部は、それはもう本当に美しい壁画が残されていました。(撮影不可)

王のミイラにお眼にかかると、改めて「私の人生でツタンカーメン王のミイラを現地で見るなんてことが起こったんだなぁ」とじわじわきました。

 

 

しかしながらこの圧巻の景色。本当にあっぱれ―と同時に、いくつも疑問が生まれます。記憶のあるうちに( ・~・)φメモメモ。

 

Q.懐中電灯もない時代、真っ暗闇の中で職人達はどうやってこんな色鮮やかな装飾を施せたのか?こんな狭い所で松明付けたら酸素薄まって死ぬしww

A.地上から10m間隔で反射板(鏡)を持った労働者が立ち、太陽の光を地下まで届けたのさっ!

 

 

うそやん、まじでそんなことできんの???100m以上地下の、しかも入り組んだ内部の隅々にまでっ??

 

Q.この鮮やかな色は、どうして何千年も経った今も残っているの?

A.植物や鉱物から作り出した色を塗る前に、まず卵の黄身を漆喰として塗ると、色が定着するんだよ。

 

 

 

 すんごいなぁ。どうやってそれに気づいたの?? 

 

――いやまて。どんだけ卵使ったの(@A@)??

 

聞けば聞くほど規格外で、熱中症になりそうでした。 卵……ありえない数の命を犠牲に、1人の死者を守ったわけだね……。

 

因みに当時の職人達にも最高責任者という人がいたらしく、部下が赤色で描いた下書きをチェックして、必要なら黒の炭で訂正していたんだって。

なんかもう、、、人っていつから変わらず「人」なんだろうと(。-∀-)

 

 

帰り道、お土産店で実名をヒエログリフで掘ったカルトゥーシュを購入し、再び出航。

 

 

夜には6mの水位差があるエスナの水門をじりじりと時間をかけて通過し、(何せ水位を揃えねばなりません)アスワンを目指したところで2日目が終了~(`・ω・´)

 

 

 

by さぁチュン

世界中で起こっているゴタゴタがすこーし落ち着いてきたかなぁという昨今。(報道がないだけかもしれませんが)

今年の夏休みは“きっとそろそろ大丈夫!;”とエジプトへ旅立ってきました!!チョイスの理由は、「生きてるうちに1回くらいピラミッド肉眼で見たくない??」

これに尽きます。

 

日本と7時間の時差があるエジプト。まずは21日の深夜、13時間20分かけてカイロへ。その後1時間5分の乗り継ぎを経てルクソールに到着しました。

パイロットが優秀なのかエジプトの飛行機が高性能なのか、「え、今着陸したのっ??!そんで飛行機ってこんな速攻で止まるもんなの!!?」というほどあっさりと到着。

エジプト、侮りがたし(―言―);

 

 

こちらは、カイロからルクソールまでの間、眼下に広がっていた景色です。ナスカの地上絵は、もう見なくていいと思えた。

 

 

さて。ばりばり午前中ですが、早速世界遺産「カルナック神殿」と「ルクソール神殿」を観光。こういう時の鉄則は、ガイドさんの隣に張り付き、沢山質問して早めに仲良くなることです( ^ω^ )最終日までに旅の密度がぐっと増す(笑)

 

太陽の聖獣である牡羊の頭を持ったスフィンクスに迎えられ(こんな暑い場所でも羊って生きられたのね)いざカルナック神殿へ。

 

 

 

ここの見所は、世界最大級のオベリスク(高さ29.56m、重さ323t)。オベリスクとは太陽神を象徴する石柱で、なんとアスワンから切り出してナイル川を使って運ばれてきた一枚岩なんだそう。ガイドさんがこの巨大な柱をどうやって起立させたのか説明してくれたけど、高度過ぎて正確に書けないので割愛(苦笑)とにかく、ただただ人力に頼って引っ張りあげたわけではないようで、当時の建築技術にポカンとなるばかりでした(0Д0)

 

 

でっぷりとした134本の柱の間を縫うように歩くと、まるで蜂の巣の内部にいるような感覚。思わず某超有名な、みんなのうた100選にも入る「エ・ジ・プゥートォーでぇーはっ♪」を口ずさみ、いやいや本当にエジプトの地を踏んでるよと震えました。

 

 

 

 

続いてルクソール神殿へ。こちらの第一塔門にもオベリスクがあるけれど、本来対で立っているべきうちの1本は、現在パリのコンコルド広場にあります。19世紀当時の権力者、モハメッド・アリが時計と交換にフランス皇帝に贈ったのが後にパリへ渡ったそうですが、真実やいかに。

 

ここで印象的だったのはこちら。椅子に座るラメセス2世と妻ネフェルタリの像。

 

 

背凭れ側に廻ると、奥さんが旦那様の肩に手を廻している…!ぇ、逆じゃね?とか思ってはダメ♡この手があることで、いかに2人がラブラブだったかを示しているのだそう……ちょいと政治的な香りがしますね?―とかも思ってはダメ♡

 

 

ガイドさん、やたらとこの2人がラブラブだったことを強調してましたが、エジプト人にとってはこの2人がおしどり夫婦の代名詞なんだそうです。結婚式のスピーチとかで「ラメ&ネフェを目指します✨」とか言っちゃうのかな。ガイドさんの口振りだと、言っちゃいそうだったけど(笑)

 

 

 

約2時間の観光を終え、これから4日間お世話になる船へ向かいます。

そう、この旅最大の魅力は、ナイル川クルーズをしながら遺跡巡りができちゃうことなのだ(੭ु´^ω^`)੭ु⁾⁾!!

船中泊なんて、お金持ちになった気分💖「ナイル川殺人事件だぁー♪」とはしゃいでいると、同じツアーの参加者さんの中にポアロ好きがいらっしゃって意気投合(*≧∀≦*)サンデッキで肌を焼いている白人さんをつかまえて、「あれは寝てるんじゃない…ッ毒を打たれて陽炙りになってるんだ(・言・)」とか原作遊びが止まりませんでした(爆笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

清掃員さんのセンスが光るバスタオルアート。扉開けた途端吊り下がってて、侵入者ぁぁあッ!?と腰が抜けかけましたwww

 

 

 

一休みすると、今度は近くのスーク散策へ。アメ横みたいなもんですね。私は各国の市場とか、ナイトバザール巡りとかが大好きで、今回のこれも楽しみにしておりました🌼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スイカにバナナに香辛料♪デーツにお米にハイビスカスティー♬極彩色のお洋服…に混じってブラジャー☆オープンねッ///?!

 

散策前に、ガイドさんから注意事項。曰く、この国の商売人は観光客を見つけるととりあえず「ワンダラー!」(1ドル)というけれど、これは「この商品は1ドルだよ」の意味ではなく、「いらっしゃーい」と同義だとか(苦笑)もしくはお互いの眼が合ったことに対する対価。もしくは商品を眼に映した対価。

 

やーめーてー┐(´д`)┌そういうのやーめーてー

 

日本人が苦手なやつ。故に超カモられるやつ。でも世界の人に言わせれば、日本人は買い物に時間をかけなさすぎるんだって。その時間を楽しんで、もっと交渉すべきだとか。いいじゃん、潔さを美徳だとでも思っておくれよー;;

 

店内を見たいのに、常にわらわらと寄ってくるワンダラー兄ちゃん達に「ガーリーガーリー」(値段が高い、の意)と呪文を唱えていると、香水瓶屋のじいちゃんが「ワンポンド」と声をかけてきた――が、反射で「ガーリー」と応えちゃって「Σはあっ?!!」と逆ギレされましたww

「あ、ポンドねっごめん高くない高くない;;;」と焦ったノリで店内へ(ある意味思うツボ)でも品質が悪かったのでちゃんと逃げてきましたよ(笑)

※1エジプトポンド=6.45円

 

その後、カフェでホットミントティーと人生初の水タバコを楽しんで、散策は終了(^。^)y-.。o○

 

 

水タバコの煙は真っ白で全く苦くなく、青りんごのフレーバーで清涼感ばっちしでした★ずっと興味があったけど、まさか現地で初体験できるとは!感動!!結局買い物はできなかったけれど、それなりに現地の商売人相手に度胸試しができて満足でした=3

 

 

船に戻る頃にはナイル川の稜線に夕陽がかかり…(違っ/笑)昔好きだった「生き物地●紀行」のOP曲がなぜか頭の中に響き渡る中、長い初日が幕を閉じました。

 

 

 

by さぁチュン

 

JAZZについて書こう。クラシックも聞いていたのだが、十代後半から二十代の中頃まで僕はジャズに入れ込んでいた。

基本は前衛を追い求めてESPレーベルは見つければ買っていた、いやいや違う違う、僕はバド・パウエル(BUD POWELL)に付いて書きたいんだ。

ただ彼が好きだと。眼に付けば買った、ジャズ喫茶でもさんざんリクエストした。バドは初期がいい、四十年代から五十年代の初めの頃は、きらめきが躍動する。

バドは中期もいい、五十年代は指は遅くなったが、しっかりした音をだす。さてバドは後期が趣き深い、人生の生きざまをまざまざと見せてくれる六十年代なのだ。

指はとろとろ、音はとんでリズムさえとれない、しかしバド・パウエルなのだ、僕はその味が好きだ。

僕は三十代になって或るきっかけからレコード盤やオーディオを壊したり捨てたりした、江戸川に100枚近く放り投げた、年若い友人にもやってしまった。

それでも200枚程度は捨てられなくて、その中にバド・パウエルはある、ドン・チェリーもコルトレーンもアルバート・アイラーも、その他もろもろ残してある。

でも今の僕の音楽の聴き方は、PCにハードディスクをつないで、そこに3000枚程のアルバムを入れて聞いている。そこにはジャズもクラシックもシャンソンも

タンゴも落語も朗読もその他いろいろと入っている、実に便利だ、そこそこのDACに繋いで聞いている毎日だ。

by ひいチュン

 

 

 

今日、江戸川の行船公園で行われた金魚まつりに行って来ました。

金魚のような少女が金魚を持っていたのが可愛らしくて、好い景色だと思いました。

by ひいチュン

神保町の古本屋街を歩いていて一冊の本に出合う事は多々あった。

そしてその日、石原吉郎 著の「サンチョ・パンサの帰郷」という詩集を見つけページを開いた。

その中に、こんな詩があった、「われらのうちを 二頭の馬がはしるとき 二頭の間隙を 

一頭の馬がはしる われらが暴動におもむくとき われらは その 一頭の馬とともにはしる

われらと暴動におもむくのは その一頭の馬であって その両側の 二頭のうまではない

ゆえにわれらがたちどまるとき われらをそとへ かけぬけるのは その一頭の馬であって

その両側の 二頭の馬ではない・・・・」

この文章は僕の身体をしびれさせた、腑におちた、そうなのかと思った。

本を買えるだけのお金がなかったから、ノートに書き写した。本屋の店主はそんな僕に何も言わなかった。

僕は十代後半の頃の、やせっぽちな時代を過ごしていた。

by ひいチュン

降りやまぬ小雨の中をゆっくりとバイクを走らせ、新藤兼人監督の「さくら隊散る」を借りてきた。

新藤兼人は実直で活力にあふれた人だ、ここで彼の著作を十数冊まとめて読んで、そう思う。

「さくら隊散る」を見るのはこれで二度目だが、見事に生きた証言になっている。私は過去に、

四日市公害のフィルム、オキナワの「モトシンカカラヌー」、水俣の記録フィルム、を見てきたが

さくら隊散る も大事なドキュメンタリー映画である。

7月も半ばだというのに雨が降りつづけて薄寒い日々がつづく妙な夏だ。生きていればこそだ。

by ひいチュン

天使が頭の上で言うんです、「考エルンジャナイヨ、キミノ頭ハ、軽インダカラ、ナルヨウニナルサ」。

というわけで、僕はコーラを飲みながら、男爵イモコロッケを二つ食べました。

でも思うんです、モグモグ、形骸化されていく民主主義とは・・・・、オッサン、オッサン。ヘイ、ワカッテマ。

マンハッタン・ジャズ・オーケストラでもでっかい音で聞くとすべエ。

by ひいチュン

昨晩はビックバンド・ジャズを聞きに行ったんです。都立大で降りて柿の木坂をのぼって、

めぐろパーシモン・ホールへという事で初めて来た場所です、柿の木坂ってここなんだと思いました。

K氏とM子さんとK子さんと私で4人、行く前に駅のそばにあった喫茶店でうまい珈琲と軽食をとって、

ごちゃごちゃと話しながら珍道中をして着きました。そうそうK氏は食べる事が好きなだけあって、

一緒にいるとオイシイものが僕にとっては教えてもらえます。

で演奏ですが、Jentle Forest Jazz Band (日本人のビックバンドです)は実に良かった。

楽しくて、うまくて、チャーミングで、もっと聞いて居たかった。CDでは聞いていたけれど、

あたりまえだが生演奏は生きている、踊り食い状態だ。

楽しい気分で4人共に帰途についたのです、柿の木坂を下って。

(でもたしか、柿の木坂は駅から三里、ですよねエ、変だな。)

by ひいチュン

AkeboshiさんのLIVEに行ってきました。

相変わらずの絶妙なトークスキルに吹き出しつつ、演奏が始まると一気にAkeboshiワールドに惹き込まれる……本当に、言霊が宿っているような独特の声をお持ちの方です。

そして今回も佐々木さん…スーパー格好好かった♪(´ε`*)

いつもは1人で行くのですが、初めて友人も巻き込んでみました。かなり心の栄養になってくれたようで嬉しいです。

 

追加公演決まったっていうんだけど行こうかなぁ。

普段は山椒魚のように表に出てきてくれない方なので、LIVEの機会は貴重なのよね…。

 

会場はここでした↓音響めっちゃ良かった。ドラムの音がチト出すぎだった感はあるけれど。

 

 

by さぁチュン

雨上がりの昼空に、瑞江の河内屋にペプシコーラを買いに行ったんだ。

従来のノーマルな味のペプシはここでしか売ってないみたいなんだ、

そんでまあ飲んだんだけど、どうも味が今一つで、これなら缶のペプシ

の方がましかな、味を微妙に変えているのか、それとも僕の味覚が

変化しちゃったのか、マアイイカ 時は流れるものよのう。

by ひいチュン

ここ何日か「イザイ、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」を聞いています。それは加藤知子のCDを

手に入れたせいで、その圧倒的な力というか存在感に魅せられたからで、血が濃いのです。

それで押し入れに突っ込んであるレコードやCDを探してみると、和波孝禧とクレーメルの

イザイの同曲が出てきました、で聞いてみましたが良い演奏です、つまり当時、僕の感性が

この曲に追いついていなかったのでしょう、これだからボケボケオッサンはダメじゃん。

というわけですぐにアマゾンをポチリまして、加藤知子の「バッハ、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ

とパルティータ」を購入して、聞いております。彼女は情の厚い女性だと僕は勝手に思って

います、イーイ女なんだろうな、ナニイッテンダ、オッサン。

by ひいチュン

偶然のようにものすごい映画を観た。『海獣の子供』という日本のアニメーション映画だ。

それを知るきっかけは、たまたまインターネット上で観た米津玄師の「海の幽霊」のMV。

 

一体全体なんなんだこの世界観は!という衝撃から数日、映画を観るという用事にしては不釣り合いなほどの早起きをして、私は劇場の椅子に座った。

 

 

まだこんな映像を創れるアニメーション監督がいたのか、という衝撃。

久石譲が音楽を手掛けているというのは劇場で知ったことだが、うん。確かに、やっとジブリに続く、久石さんが音を当てる価値のあるアニメーションが生まれたんだという印象だった。

 

 

ともかく観終えて疲れた。なぜこんなにぐったりしてしまったのだろう。暫くして、それは恐らく、スクリーンの端から端まで画の密度が変わらないからではないだろうかと考えた。1度観たくらいでは、この作品は世界観に呑まれて溺れてしまうのだ。もう1度観れば、少しは波に乗れるだろうか。

 

そういえば、観ている途中から「こうなったら嫌だな」という展開が2つあった。観終えてみれば、それは2つとも回避されていた。

 

1つは、分かりやすい少女の成長物語にしなかったこと。成長は確かにしたのだが、逆に言えばし過ぎてしまって、冒頭の振りを回収する程度ではとても納まらなくなってしまったのだ。ここまで大きいスケールにしておいて、最後の最後で小さくまとめないでほしいと思っていたが、見事に裏切ってもらえて嬉しかった。

 

もう1つは、物語のクライマックスシーンで、米津玄師の歌を流さなかったこと。誤解のないよう書いておきたいが、私は米津さんが大好きだ。そもそもこの映画を知ったきっかけだって彼の歌からだ。

しかし、「好き」で「世間的にも人気のあるアーティスト」だからこそ、安易に盛り上がるシーンに流して無理やり感動させるために使ってほしくなかった。

 

そもそも映画の中で使われる音楽というものは、あくまで物語を惹き立たせる役割を持つものだ。しかしどうも最近の傾向は、音楽で無理やり視聴者の感情を一つに絞ろうとする意図が見える。いわゆる「●の名はのRAD■IMPS現象」(笑)こちらも誤解のなきよう叫んでおきたいが、私はRADWI◆PSさんも大大大好きだッ。

 

この物語-この画の持つ力に、別の方向性の力を加えてしまっては、世界観がひしゃげる。そもそも人間の声が挿入歌として入ることが合っていないと思っていたので嫌な予感が外れたことは嬉しかった。彼の歌はあっさりと、ED曲としてエンドロールでかかっただけだった。しかもそのエンドロール…創り方がそれはそれはハイセンスだった。

 

 

ここまで力のある作品が、なぜ上映する映画館も少なく、上映期間も短く、1日の上映回数が1回などというふざけた扱いをされるのだろう。

※上映回数は映画館によって異なるが、親切でない映画館がほとんどであることは確か

 

皆で草の根運動をして、規模を広げるべきだ。とりあえず私は眠いのをおして、来週にでももう1度行きたい。

 

by さぁチュン

NHKテレビで放映している、「空港ピアノ・駅ピアノ」という番組が好きです。見ている方も

多いだろうから続いているのでしょうが、いろいろな国の人の情景や感情や表情が伝わって

くるのです、それが楽しい、そしてみんなが戦争の無い平和な世界を日常を願っています。

by ひいチュン

日曜の夜のNHKテレビで僕のアイドルであるピエール・フルニエが聞けた、1954年の来日時の

演奏で、ドボルザークだった。彼の片足が不自由で杖を必要とするとは知らなかった。

演奏自体は録音が悪く、評価できない。それでも嬉しかった。他にホルスト・シュタインの

ベートーヴェン交響曲5番をやった、これは好演奏だった。これからもこういう映像をどんどん

放映して欲しいものだ、じゃないと、PCでユーチューブばかり見ることになってしまうよね。

by ひいチュン

 

さあ天気が晴れたら江戸川の土手に行こう、いろいろな花たちが咲いている。

あなたと手を組んで、水筒を持って、軽い靴をはいて、ずんずん歩こう。

カルピスは初恋の味だよなんて、さあ家を出よう、初恋があちこちに咲いているよ。

虫たちも、鳥たちも、恋に恋して今を生きいきして、この季節に色を付けているよ。

by ひいチュン

なんだろう、ちょっとだけ落ち込んでいる。もういいんだ、そう、わかっている。

そうだよね、きっとそうなんだろう。砂時計は落ち続けている。

by ひいチュン

散歩に図書館に行って、歩いて歩いていたんだけれど、なぜか気持ちが

悪くって、イヤな感じで、前傾姿勢をとれば足は勝手に前に出るだろうと

思いながら、僕はカンカン照りの中を片眼をつぶって歩いていた。

by ひいチュン