『海獣の子供』上映中。

偶然のようにものすごい映画を観た。『海獣の子供』という日本のアニメーション映画だ。

それを知るきっかけは、たまたまインターネット上で観た米津玄師の「海の幽霊」のMV。

 

一体全体なんなんだこの世界観は!という衝撃から数日、映画を観るという用事にしては不釣り合いなほどの早起きをして、私は劇場の椅子に座った。

 

 

まだこんな映像を創れるアニメーション監督がいたのか、という衝撃。

久石譲が音楽を手掛けているというのは劇場で知ったことだが、うん。確かに、やっとジブリに続く、久石さんが音を当てる価値のあるアニメーションが生まれたんだという印象だった。

 

 

ともかく観終えて疲れた。なぜこんなにぐったりしてしまったのだろう。暫くして、それは恐らく、スクリーンの端から端まで画の密度が変わらないからではないだろうかと考えた。1度観たくらいでは、この作品は世界観に呑まれて溺れてしまうのだ。もう1度観れば、少しは波に乗れるだろうか。

 

そういえば、観ている途中から「こうなったら嫌だな」という展開が2つあった。観終えてみれば、それは2つとも回避されていた。

 

1つは、分かりやすい少女の成長物語にしなかったこと。成長は確かにしたのだが、逆に言えばし過ぎてしまって、冒頭の振りを回収する程度ではとても納まらなくなってしまったのだ。ここまで大きいスケールにしておいて、最後の最後で小さくまとめないでほしいと思っていたが、見事に裏切ってもらえて嬉しかった。

 

もう1つは、物語のクライマックスシーンで、米津玄師の歌を流さなかったこと。誤解のないよう書いておきたいが、私は米津さんが大好きだ。そもそもこの映画を知ったきっかけだって彼の歌からだ。

しかし、「好き」で「世間的にも人気のあるアーティスト」だからこそ、安易に盛り上がるシーンに流して無理やり感動させるために使ってほしくなかった。

 

そもそも映画の中で使われる音楽というものは、あくまで物語を惹き立たせる役割を持つものだ。しかしどうも最近の傾向は、音楽で無理やり視聴者の感情を一つに絞ろうとする意図が見える。いわゆる「●の名はのRAD■IMPS現象」(笑)こちらも誤解のなきよう叫んでおきたいが、私はRADWI◆PSさんも大大大好きだッ。

 

この物語-この画の持つ力に、別の方向性の力を加えてしまっては、世界観がひしゃげる。そもそも人間の声が挿入歌として入ることが合っていないと思っていたので嫌な予感が外れたことは嬉しかった。彼の歌はあっさりと、ED曲としてエンドロールでかかっただけだった。しかもそのエンドロール…創り方がそれはそれはハイセンスだった。

 

 

ここまで力のある作品が、なぜ上映する映画館も少なく、上映期間も短く、1日の上映回数が1回などというふざけた扱いをされるのだろう。

※上映回数は映画館によって異なるが、親切でない映画館がほとんどであることは確か

 

皆で草の根運動をして、規模を広げるべきだ。とりあえず私は眠いのをおして、来週にでももう1度行きたい。

 

by さぁチュン