3匹のすずめ(ブログ)

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いやあ今日は暑かった、散歩に出て小松菜をKさんちで手に入れ、

ついでに老老介護の面倒さを会話し、江戸川の土手にあがった。

子供たちがいないので、ポニーさんがトボトボ歩いていた。

今日の暑さは馬たちも大変だろうなと、僕も少し汗をかいた。

そうそう桑の木があるおうちでツブツブの実を採って食べた、

まだ甘さが無かった。ジャムにすると言っていた。暑さでフラフラした。

by ひいチュン

 

10代の半ば頃から上野にはよく行きました、国鉄で小岩から秋葉原で乗り換えて

上野の公園口に出ます。

そこには西洋美術館と国立博物館とがあります。そして真っすぐ西洋美術館に

入るのです、そこは西洋の入口であり、驚くほどの宝物でいっぱいです。

入って右に行くと、彫刻作品の部屋です、ここにはロダンが多いのですが、

マイヨールの女性のほぼ等身大の裸体像が確か3体常設されていました。

「さわってはいけません」とあちこちに書いてあります、僕はいつも触りました。

いや、撫でまわしました、とても滑らかで、優しくて、冷たいぬくもりがありました。

僕はマイヨールに惹かれていました。もしこの裸体像がモンパルナスの夜の

エトワールと呼ばれた、キキなら、僕はキキに恋をした、ということかな。

マイヨールの写真を見たことがあります、立派な髭をたくわえた、しっかりとした

老人だった、ちょっと高村光太郎に似た風貌だった。

改築前のゆったりとした西洋美術館がすきだった、それも常設の時が、

だって普段の曜日には、ほとんどお客が居なかったのだから。

(さて、僕はまだ一部屋しか書けなかったけれど。)

追記:キキは画家のモデルはしたけれど、彫刻家のモデルはしなかったようです。

by ひいチュン

厚く曇っている昼間に僕は庭に立って居て、そんな日は緑が濃く見えます。

梅の木の下から松の木の下を整理していて、柊の枝の葉で手を切りました、

緑色の血がにじんできて、僕は一匹のあおむしになっているようでした。

花が開き始めた紫陽花に這い登って一枚の白いがくになるのもいいかな。

小さな雨が少しだけ落ちてきて、僕はまた急いで切ったり抜いたりした緑を

ビニール袋に詰めました。頑張った虫たちよ、蝶になれ、蝉になれ。

by ひいチュン

 

昼食のお支度が整いましたでございます。

メインはマルちゃん製麺所より買い求めました焼きそばにて、特製の袋詰め

粉末ソースにて調理し、これに貴重な冷凍天かすなるものをまぶしまして、

さらに生協より取り寄せた玉子一個を丁重に半熟目玉焼きとし、上部に乗せ

て、さらにさらに遠くオーストリアはウイーンを原産とする、ウインナーソーセイジ

を三本トッピング致しました。そしてお皿は無名ですが、黒のうわぐすりをたっぷり

と塗った、現代の民芸ともいえる逸品を使用しました。さてお茶ですが、静岡県産

にて、吟味されたものをタップリと適温にてだし、沖縄はヤチムンにて焼かれた

湯呑茶碗にてご賞味頂きます。どうぞ御ゆるりとお楽しみくださいませ。

by ひいチュン

 

午前中にエアコン掃除をしました、けっこうホコリが溜まっていて、この家は日がなホコリが

舞っているのだと知りました。今は冷房が効くかどうか、25度で運転中です。

こんなに早く夏が来るなんて、温暖化だ、地球防衛隊の出動だ。

by ひいチュン

時々、自分の体力を確認する意味も込めてお散歩をします。

敢えておしゃれな、けれども実は自分専用にがっちりカスタマイズしてもらった靴を履き、正しいウォーキング法を意識してキビキビと街を闊歩するのです。

 

今回は戸越銀座商店街に行ってきました。花屋さんと蕎麦屋さんと靴の修理屋さんが多いところでした。

1件だけあった古本屋にしばらく居座りましたが、今回は収穫ゼロで残念。ちょいアダルト系の「英国紳士の悪い作法」??とかいう仕掛け絵本だけ悩んだけれど、本の痛みの割によいお値段だったので見送り(苦笑)

 

お家でお留守番だとさめざめしていたアノ人へ甘食を買い、以前贈ってもらった素敵な時計をチラと見やるとまだ14:30(-"-)

 

 

いつもの散歩モードいくかー、と大通りへ出て自動車を運転する人達が見上げる青い標識を探します。

見つけると、大体自宅方面へ行く方角に向かって歩き始めます。

 

 

〔●●まで◆Km〕というKm単位の道のりを告げる標識に笑いながらキビキビ歩いていくと、それでも段々とそのKmが減っていきます。これが快感です。私まだ体力あんじゃんッ!と人知れずムフフ♡とします。

 

今回はあまり時間もなく、戸越~田町間しか歩けませんでしたが、途中で突然東京タワーが現れた時には心の中で「ぅおぉおお///」と嬉しくなりました。

あの辺りがあんなに坂が多く、神社仏閣が多く、キリスト関係の建造物が多く、個性的なビル群の集まる地域だとは、やはり歩いてみなければ分かりませんね。

 

趣味にお散歩が加わってから、東京に住んでいる価値に気づく日々です。

 

次からは扇子持っていこう(^ω^;

 

by さぁチュン

暑い一日でしたね。梅の実とりをしました。つんつん出ている枝も落としながら、

娘と二人で作業しました。大きな蜂がブンブンと邪魔する中を、袋の中に梅の実を

入れます。何をしなきゃいけないのかを考えながら、イヤイヤ暑くてそれどころじゃなく、

二人で頑張りました、年に一度の収穫ですから、40年程にもなる梅の木の果実ですから、

ありがたいことです。今年は梅ジュースにする予定です。

僕は、作業を終えて、シャワーを浴びて、そして昼寝しました。

by ひいチュン

 

今朝の新聞を読んで、こんな記事が載っていたのです。

「イリオモテヤマネコ撮った」。なんだかうれしくなちゃって、初めて新聞社に電話して、

「この写真はいつ撮ったのですか」、そうしたら親切に「共同通信社からで、5月12日です」。

そうなんだ、そうなんだ、楽しいな。

僕は20年ほど前、沖縄・石垣島の海に魅せられて3年ほどつづけて6月夏場に

シュノーケリングに行きました、その時に西表島にも行って、イリオモテヤマネコ館で、

剥製をみました、本当に今もいるのかしらん、とおもったのです。

そしてこの記事、素敵じゃないですか。いやあカッコイイ写真だ。

by ひいチュン

僕は「中島みゆき」を彼女が1975年ヤマハのコンテストで、「時代」で優勝して以来、

1枚目のLPからずうっと聞いていた、その存在から眼がはなせなかった、LPが出る

ごとにテープに入れて、家でも車でも聞いた。

一枚ごとに感心した、後ろに誰か居るのかとも思ったが、どうでもいいと思った。

一番好きなジャケットは1977年の「あ・り・が・と・う」かな、一番衝撃だったのは、

1978年の「愛していると云ってくれ」かな、この頃の彼女は絶好調だった、

すごい破壊力だった。僕は12枚目のLPまで、そう1986年「36.5°C」まで買いつづけ、

そして終わりにした。その後も彼女の曲を時々聞きます、心に響きます、いつだったか

両国国技館コンサートに聞きにいきました。いったい「中島みゆき」とはなんなのか、

男を立ち止まらせ、頭をかかえさせる「歌姫」なのか。振り向いたら君はもういないだろ、

嘘つきな影法師。単純で複雑好きな歌姫。男に自身の影を踏ませる「歌姫」。

あんまり大げさな貴女は好きではありません、元気で歌いつづけて下さい。

by ひいチュン

一編の短編小説を紹介したいと思います。

昭和21年に書かれた、石川淳の「かよひ小町」です。ちょいといいんです。

この小説には僕は古い思い出があって、その頃イヤな奴だと思っていた男と,

無理に友人に誘われ彼のアパートの部屋行き、少し飲んだ後(僕はほとんど飲めません)

彼とこの小説の話になって、読む傾向が似ているなあと、(ああ僕もイヤな男だったんです)。

それはともかく、半世紀ぶりに読んだら(イヤ味な言い方)、やっぱりいい短編なのです。

中身は言いません、機会がありましたら、ご一読を。

 追記、リリアン・ギッシュの絵を描こうとしたのですが、僕には無理です。

1920年製作のサイレント映画「東への道」はラブロマンスの名作です、

こちらも機会がありましたら、ぜひ。

by ひいチュン

 

サイレント映画を観ることはボ〇防止に効果的です。

 

映像がはっきりしない分、画面の隅々まで眼を走らせて情報を集めるため、眼球運動が促進します。

科白が聞こえない分、それまでの登場人物の相関図やストーリーを把握・構築・想像しながらリアルタイムを追うため、情報処理能力が向上します。

 

ポップコーンとコーク片手にまったりと…とは、トーキー時代に入ってからのアイテムでしょう。

全神経かけて1本観終えた頃には、ぜーはーぜはー疲労困憊―故に心にいつまでも残る…それがサイレント映画の効能です。

 

さぁ介護従事者の皆さん、レッツ★チャレンジ

 

まぁ実際、老人ホームで実習した学生が20分のサイレント映画を利用者さんに見てもらったところ、残り5分で「ずっと画面がまっしろねぇ。いつ始まるの?」と言われ、未曽有の大災害に襲われたという話しは伝説です。 ※同級生実話より

 

 

さて、私は徹夜こそできなくなったものの、まだサイレント映画1本分くらいは全力で挑める体力と気力がございます。

 

この度はとんでもない偶然の巡り合わせで、大女優リリアン・ギッシュの『東への道』を、なんと活動弁士付きで観られる機会に恵まれました。

 

 

我が家のトラヲキネマではなく、本物の映画館でサイレント―しかもリリアン・ギッシュを観ることができただけで大興奮でした。

内容は、なぜこんなコテコテのストーリーにここまでの長尺が必要だったのか?!というものでしたが、ところどころの彼女の演技力が、…もぅッさすが……!!と胸を打つものだったので、もう宜しいでしょう。(死に逝く赤子に洗礼の儀式を行う場面は堪りませんでした。氷上のシーン、どう撮ったのだろう??)

そして相手役のリチャード・バーセルメス。いつの時代もハンサムの定義は変わらない…と思わせるほどの2枚目さんなのですが、なんと彼、かの『散りゆく花』の中国人宣教師でした。

どっかーーん まじかーー あの中国人、結構イっちゃってる人だったから心配だったのだけれど(まぁあの映画のキャスト全員振り切れてたが)やっぱり演技の1つだったのねー、そりゃそうよねー、安心したー。

 

弁士付きの映画はいつか体験してみたいと思っていたので、今回は嬉しかったです。

ハルキさん、とってもお上手で、違和感なく物語にのめり込むことができました。

敢えて言うなら、すこーしだけ、科白抜いてもいい場面があった気がすること。こんな風に思うのは、歴々の弁士の声が録音された映画をいくつも観てきた中で、「意外に喋らないな」と不思議に感じたことが何度かあったからなのですが。

そうかぁ……画で充分魅せる力がある場面では、意識して声を削っていたのかもしれませんね。

 

う~~~ん奥が深い。リリアン麗しい。

 

by さぁチュン

その書物はまだ書きかけのまま時代の中に漂流する、作者のいない本らしいのです。

魔法の筆が現れて、文字なり模様なり譜面なりを書きつけていくのです。

豊かに実る田畑が書いてあったりする頁を開くと、其の通りになり。子供らが輪になって

踊っている頁を開くと、子供たちが広場で笑いながら踊っているのです。

人は高い塀をつくるよりも、田畑を開墾し、森を豊かな実りあるものにし、船を海にだして

必要なだけの魚や昆布を頂く。この書物には、そう書いてあるそうです。

槍や弓矢や鉄砲、大砲、爆弾、ミサイル、原発、は間だ書かれていません。この書物は

まだ答えを探しているらしく、白いままの頁はまだ幾枚も残っています。

この書物が今どこにあるのかは知りません、欧州の廻りの難民キャンプにあるのか、

自国だけが利益を得ればよいと考える国にあるのか、その国がくしゃみをすれば、

マスクを持って飛んでいく国にあるのか、分かりません。でもおよそこの本は、戦争の

役には立ちません、怠惰で、のんだくれで、権力に酔っている人にも、役立ちません。

再生のための書物を、魔法の筆は描きたいのです。この先まだ幾十億年つづく人間の

歴史のあるために。 (アイルランドのあるアニメーションを見て、触発されて書きました)

追記、でも僕も貴方も白い頁をまだ幾枚か持っていますよね。

by ひいチュン

 

 

天かす愛、について書かねばと思った。

酒井順子さんの最新エッセイを読んだら、彼女の天かすへの想いが書かれていて、

いやあ同感だと思った。彼女はたぬきうどんが好きだと書いているが僕は断然たぬきそば

が好みだ。天かすの活躍場はひろく、ご飯にも、焼きそばにも、味噌汁にも、パラパラっと

振りかければ、ああら不思議、味がいきいきとして、食感もあがり、その油味がやさしさを

振りまく。彼女の言う通り「水で溶いた小麦粉を油で揚げただけのもの」、だけれどもだ、

僕には魔法のような食材であり、欠かせないものです。ああ、天かす愛、ご賞味あれ。

 追伸、僕は酒井順子さんの文章は、「負け犬の遠吠え」以降ほとんど全て読ませて

頂き、ご教示されること多く、楽しんでおります。

by ひいチュン

いやあ久しぶりにジョン・コルトレーンを聞いた、嬉しい。60年代後半のジャズ喫茶では

盛んに聞いたものだ。およそLPレコードで持っているが、聞かなくなっていた。

でコルトレーンの「至上の愛」を聞き、こりゃあいいやてんで、「セッティン・ザ・ペース」

を、そして「ソウル・トレーン]と聞いて、渇望が収まった。

水を飲むように音楽を腹に流し込んで、すっとした。

僕はぎりぎりコルトレーンに間に合わなかった、来日が1966年だから、あと1年遅ければ、

もう僕はガチャガチャだったから、聞きに行けたかな。

by ひいチュン

変ちくりんな夢を見た。僕は誰かと戦っていて(僕は本来弱虫です。)相手がまるで不死身で、

そうカリガリ博士が操った眠り男のようで、岩山で戦い、谷川で戦い、洞窟で戦うのです。

そして段々と僕が追い詰めていくのですが(都合のいい展開です。)彼は最後に包丁を持

って迫って来たところを、僕が大きな袋を頭からかぶせるのです、すると彼は袋ごと小さく、

小さくちじんで、川に飛び込んだのです、そして魚になって泳ぎだしたのです。

ああ僕は怖くて仕方ない(僕は本来臆病者です。)包丁を身体の中でかまえた魚が、川に、

海にいて、泳ぐ僕にいつ襲い掛かってくるのか。ねえ変ちくりんな夢でしょう、おお怖い。

by ひいチュン

 

サンソン・フランソワの弾くラヴェルもドビュッシーも好きだが、ショパンの

夜想曲集が素敵だ。この粋さが魅力だ、夜の黒の世界に光の瞬きを現す。

 パリジャンのフランソワは今夜もキャバレーで飲んだくれ、戯れにピアノを弾く。

彼は酔っぱらって録音スタジオで寝てしまう、おかげで得意のドビュッシー

ピアノ曲を全曲録音することが出来なかった、まあそれもいいよね。

by ひいチュン

バッハの無伴奏チェロ組曲が好きです。いろいろな人の演奏を聞きますが、艶っぽくて品の

あるフルニエ1961年盤を普段は聞きますが、カザルスはやはり芯があって好いです、

シュタルケルやビルスマもたまに聞きます、最近の演奏ではクニャーゼフの1996年盤を聞き

ますが良いものです。

しかし,J.Sバッハは何という素晴らしい曲を書くのでしょう、聞き飽きるということがありません。

朝に聞こうと、昼に聞こうと、素敵なのですが、僕は夜、部屋を暗くしてじとっと聞くのが

好きで、頭の中に音が沁みこんでくるのです。そういう状態のとき家人から、

「電気がつかなくなっちゃったから、直してよ」などと突然に部屋に入ってきて言われ

ますと、ムッとしますが、ハイと良い返事をします。グフフフ。

by ひいチュン

「さあネコニャン休は終わりニャー。帰るわニャン」、「母ちゃん、もっと遊ぼうよ」

by ひいチュン

今日はこどもの日ですが、2日前に遊びに来た息子とその息子とで

江戸川河川敷にて野球の真似事をしました。ドッチボールもしました。

本日は筋肉痛です。

しかし遊びに入れてやろうという、やさしい、やさしい、気持ちに乗りました。

気持ちよく晴れた青空のしたで、広々とした河川敷には、やさしい風が吹いていました。

by ひいチュン

本物ロックンローラー・忌野清志郎の命日だ、もう十年にもなる、信じらんない。

今も聞いているよ、「君のやさしさは、言葉では、言葉では、軽い」かっこよかった。

「歩道橋を渡るとき、空に踊るエンジェル」、清志郎の歌には、やさしさと強さがあった。

同時代を生きた僕は、ただ過ぎていく時の中で、、、そう今夜は清志郎を聞こう。

by ひいチュン