第56回 東日本伝統工芸展に入選しました。

今日は94歳で永眠した母の3回忌の法要を、家族や親類の皆で偲びました。
静岡から来た姉夫妻を見送り、ふとポストを覗くと1通の封書が。
(社団法人)日本工芸会東日本支部からで、先日搬入した訪問着の入選を知らせる内容でした。
今回4度目の入選で、前回は丁度母が亡くなった後にこの知らせが届き、母の棺にDMを入れて報告したものです。

40年以上友禅に携わり、苦行のようなこの世界から逃げ出したいと思ったことが幾度あることか。着物業界の低迷も依然として続き、永い間真っ暗なトンネルを抜けられずにいましたが、最近やっと少し光が差し込んできた気がします。

普段から着物を着るのが当たり前だった、大正生まれの母。
生前使っていた桐箪笥からは、きちんと畳まれた羽織や小紋、黒留、喪服などが―。
母の性格が滲むようでした。それら1枚1枚に、その時の母の想いが込められているのを感じました。
私の子供時代、父兄参観日には仕事着から着替えた母の着物姿を見ることができました。そんな母を少し誇らしく、嬉しく思ったのを覚えています。
戦後10年足らずでは、長女の七五三に着物を着せることもとても大変だったと聞きました。それでも工面して揃えてもらった晴れがましい振袖を着た姉は、少し緊張気味の表情で今も白黒写真の中に収められています。
一兄三姉妹の我が家では、その後も母の苦労は並大抵のものではなかったろうと、今では手に取るように解ります。

こんなこともありました。
母がやっとの思いで買ってくれた、七五三の振袖。私は嬉しさのあまりお正月に着せてもらい、その袖の一部を知り合いの家の炬燵で焦がしてしまいました。とても苦い思い出で、きっとさんざ怒られたに違いありませんが、今そんな記憶は全く残っていないのです。母は大きな声で叱りつけることのない人でした。

書き進めるうちに、東日本展に入選した嬉しい気持ちよりも、何事にもゆったりと微笑みながら子供の成長をそっと見つめる、両親の慈愛に満ちた姿に想いを馳せる自分自身を感じます。
母の小さな遺影の前へ東日本展の葉書を添え、そっと手を合わせました。